ちょっとお魚を仕入れ過ぎて、先週はお魚が余ってしまいました。汗
昨日はその為、閉店後の賄いで刺身尽くし・・・。おいしかったです。自画自賛
今日は福島の白河に行きます。エンジニアの時代に8年白河にいました。懐かしい友人が沢山います。当然飲むのですが、勉強になるお店も沢山あって、休日しか出来ない修業もして来ます。笑
こんな電車でGo!(わが街を走るJR両毛線にはレアな電車が未だ・・・)
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今日も10名近いご予約を頂いており、忙しくなりそうです。ただ、最近は蕎麦の方の注文が多いんです。桐生はうどんと思っていましたが、蕎麦の需要も高いんですね。
山に囲まれた桐生、うどん、蕎麦が美味しいのは、こんな景色からも納得です。
写真は桐生を流れる渡良瀬川と名峰赤城山。因みに志門では赤城山という名前の日本酒を扱っています。
マンズワインの工場では、シャルドネのマセラシオン・リミテが気に入って買いました。これかなり昔からありますが、年々磨きがかかって来ています。
長野の赤はメルローに力を入れているようです。今回はぴんと来ませんでしたが、日本の事だからそれなりの良質のスタイルが確立される事を期待しています。
ヴィラデストって、フランス語なんですが、全然想像してませんでした。Villa d'Est 東の村なんですね。
さぁ、今週もがんばって働きますっ!
写真はパレードの龍が飛翔する姿です。きりゅうに因んだりゅう。今にも天高く舞いそうです。
今日は比較的涼しくて、いいですね。営業に向けて気合が入ります!
志門の今週のお魚ですが、アジ、キンメダイ、イサキ、カマス、アカイカ、アカエビを真鶴から仕入れて来ました。もつも新鮮なのが入って来ています。夏バテ防止に新鮮なもつ、いいですよ!
志門は今日から営業です。今週私は真鶴に行かなかったので、何の魚が来ているかまだわかりません。わかり次第、ブログで紹介いたします。
写真は桐生祭のパレード。八木節を踊る女性の後ろ姿がなんとも言えません。そして「きりゅう」にちなんだ龍の舞、なかなか迫力があります。何故か阿波踊りがやって来たのですが、これもなかなか良かったです。コメントがなかなかづくし・・・。笑
真鶴の涼みの写真を一枚。
写真は桐生祭の七夕飾り。七夕は7月7日ですが、桐生は1カ月遅れてお祭りの時に七夕祭りを兼ねるのだそうです。仙台の規模ではありませんが、なかなかきれいです。
写真は八木節を演奏している舞台と三吉町の子供神輿。子供の後姿が凛々しいんです。
今日はお盆に入ってどうでしょうか?今年はお盆を休まず営業して、9月に休みを取ろうという算段でいます。お盆営業は初めてで、どのくらいの来客があるか見当もつきません。でも、お魚は真鶴直送で仕入れました。仕入れも一種のかけですね。
写真は桐生祭のおみこしです。担ぐ皆さんもがんばってます。
このディアンムー(台風4号)は今夜秋田に上陸して、岩手か青森を横切るようですね。甚大な被害が出なければいいのですが・・・。
写真の船盛は先日真鶴うに清さんで頂いたものです。マダイの活け造も豪快でした。うに清さんの魚はいつも新鮮で、活け造の魚が飛び跳ねる事もあるんだそうです。びっくりです。うちも船盛やってみたいですねー。どなたか予約して下さーい。
<お 肉 料 理>
もつ焼き(野菜付き)一人前
国産和牛 特上カルビ(野菜付き)
豚三枚肉(野菜付き)
タン塩、カシラ、レバー(野菜付き)
もつ煮込み
牛筋煮込み
ラクレット(スイスチーズ)
<お 刺 身 料 理>
真鶴直送地魚の刺身盛り合わせ
真鶴直送地魚の刺身単品 黒板にて
中トロマグロ 焼津直送
マグロぶつ 焼津直送
マグロやまかけ 焼津直送
生しらす 二人前から 用宗直送
生カキ(冬場のみ)
<お 魚 料 理>
さば塩焼き 焼津直送
金目煮魚 真鶴直送
サザエ壺焼 真鶴直送
揚げ物盛り合わせ
かきフライ(冬場のみ)
アジフライ 真鶴直送
さくらえびかき揚げ 大井川直送
ハンペンフライ 焼津直送
イカ天ぷら 真鶴直送
やきハンペン 焼津直送
ゆでしらす 用宗直送
いか塩から 真鶴直送
かつお酒盗 焼津直送
かつお塩から 焼津直送
ゆで桜えび 大井川直送
<鍋 料 理 ※2人前からとなります>
もつ鍋
カキ鍋(冬期のみ)
<ご 飯 類、 一 品>
ごはんセット、お新香、みそ汁付き
焼きそば
手打ちうどん
手打ちそば 那須産そば粉使用
お新香盛り合わせ
トマトサラダ、ハムサラダ
ジャコ・桜エビのサラダ
特選小田原かまぼこ
湯豆腐
冷奴
<お飲み物>
生ビール
各種サワー
各種ソフトドリンク
ウイスキー
焼酎(芋、麦各種)
日本酒(銘酒赤城山)
ワイン(世界のワイン各種)
このブログは始めたばかりなので、のりさんの簡単な紹介をします。台東生まれの父と桐生生まれの母の間に生まれました。誕生地は母の実家桐生です。両親が早々と離婚したため、母方の祖父母に育てられました。幼稚園から小学校の時代です。南小に行きました。
今は亡き南中に1カ月在籍した後、台東の下谷にいた母の所に行きました。母が下谷で小料理屋を始めたのがきっかけでした。中学、高校時代を下谷で過ごしました。大学は静岡でした。学生の時は青春時代をしていた気がします。笑
大学卒業後2年小田原に住みました。小田原で蒲鉾を作ったり、売ったりしていました。その後東京に戻り、ワインの輸入販売に就きました。この時代、ワインを飲みまくりました。ワイン鑑定の技術も身につけました。ところが、アメリカに研修があるという事で、エンジニアリングの会社に入りました。
数年そこでエンジニアリングの修業をしたのち、アメリカに1年行きました。この時、ネブラスカ州で名誉市民をもらいました。東ヨーロッパから来ていた客員教授の助手をしていて、教授たちが州の財務長官に招待を受けた時、わたしも名誉市民をもらっちゃいました。笑 でもアメリカにいた時が一番勉強したと思います。いつも深夜過ぎまで大学の図書館にいました。
日本に戻って、暫くして会社の白河工場の管理者として行く事になり、8年白河に住みました。30代で会社の取締役になりました。この会社取締役時代が、一番世の中というものを学んだ気がします。
アメリカにいた頃に知り合ったスイス人の女性と結婚したのですが、彼女がスイスに戻りたいと言い出し、結局それに押されて、全てを投げ打ってスイス移住を決めました。当然会社からは強く慰留されました。会社を辞めるのに2年必要でした。
白河時代、手打ち蕎麦、手打ちうどん、手打ちラーメンなどの技術を身につけていました。スイスで手打ち蕎麦、手打ちうどんを紹介する仕事をしようと決めていました。手打ち蕎麦屋の開業コースを受けたのちスイスに行きました。
スイスはベルンに住んでいます(今も一時帰国という感じです)。ベルンで作業所を借りて、手打ち蕎麦のケータリング・サービスから始めました。その頃、ぽかぽか地球家族で紹介されました。蕎麦屋を作りたかったのですが、場所がなかなかみつかりませんでした。それでも、色々な場所で手打ち蕎麦を紹介出来て面白かったです。評判も上々でした。時にはドイツまで仕事に行きました。
リーマンショック以降、このケータリング・サービスが悪くなりました。お店の開店も景気の悪化で開店資金の借り入れが難しくなり、自己資本による開店が大変難しくなりました。今、共同でお店を作ろうと言う話が進んでおり、開店までまだ時間があるため、桐生で母が作ったお店「志門」を手伝っています。
スイスでは私の手打ち蕎麦、手打ちうどんは大変好評でした。ドイツではハノーファー市の市長が絶賛してくれました。彼は日本食が好きで何回か日本に行っているのですが、日本で食べた蕎麦よりうまいと褒めてくれました。
現在日本にいるわけですが、私の手打ち蕎麦、手打ちうどんを食べたお客様は、専門店よりおいしいと仰って下さる方もいます。ただ、確かに「志門」は専門店ではないのですが、手打ち職人を自称している私にとっては、確かな味を提供して当然でなければならないと思っています。
人生の中で一番長く住んだ場所は東京ですが、次いで桐生、白河、ベルン、静岡、小田原、アメリカ、真鶴の順です。この中で自分にとって故郷と思える地が、東京の下谷、桐生、白河、静岡です。桐生はその中でも生誕の地として特別な思いがあります。真鶴は昔から別宅でしたので、実は地元という意識がありません。スイスのベルンも流石に故郷というには抵抗がありますが、私の子供たちにとっては故郷となったと思います。ベルンに戻ると、私も落ち着きます。
旅行好きです、風景写真を撮るのが好きです。サイクリング、登山、スキー、ダイビングなど、フィールドを動き回るスポーツが好きです。
子供が日本とスイスの複国籍者であって、将来日本の法律によってどちらか一方の国籍を選択しなくてはなりません。スイスは複国籍を認めていますので、日本もそうなって欲しいと思い、そういう活動もしています。自分もスイスでは外国人移民ですから、日本に住む外国人の苦労に共感します。自分のできる範囲でこうした人達の為になることを出来ればと思っています。
お店では、確かな味をお客様に提供するよう、日々努力をしていきたいと思っています。蕎麦粉は那須産のもの、うどん粉は宮城から取り寄せています。材料費も高いので、お値段は正直他店より高いかも知れません。しかし、同じ質であれば値段が安いと思います。今後も努力して、いいものを最大限に良心的な値段でご提供していきたいと思っています。
どうぞ宜しくお願い致します。
写真はメニューの一例です。
ブログではお店の紹介と桐生や真鶴、ときおり日本を旅行した時の写真を紹介していきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。